表現
2011.01.27 Thursday 00:39
たまに何だか高そうなお菓子を貰ったりするんだけど、
全然名前が覚えられない。
先日、
都内某所をフラッとウォーキングがてらに歩いていた時、
何だか異様に惹かれる空間があった。
小さなカフェの中にあるギャラリー、
非常に慎ましい感じだが、何か強烈に惹かれるものがあった。
思えばここ数年、
絵を描き続けてはいたものの、
様々な企業の社長筋からの依頼やその他著名人、
または飲食店や宝飾店、その他店舗の開店に合わせての依頼。
個展も自発的ではなく、都内の百貨店や各種イベントの
招待作家としての出展が多かった。
絵を描き続けているものの、
スタンスは非常に受動的で、
能動的あるいは自発的な作品制作と発表はホントにもう、
ここ数年していなかった気がする。
つまり、ビジネスライクな活動が多かった。
先日見つけたカフェの中の小さなギャラリー、
もうひとつは代官山にあるとあるギャラリー。
この2箇所が自分の中でしばらく振幅していた。
今日、絵の作業の休憩中、
絵の具を乾かしている間に、
外の木を眺めながら、ふとある言葉が頭をよぎった。
そろそろ、
真剣に絵を描こうか。
絵を描きながら、
そんな事を考えるのも妙な話だけれども、
それは新しい作品を描いて行こうという事。
今描いている作品のほとんどは、
自分が20代の頃に描いた絵の複製、
つまり描き直しで、今の自分の作品ではない。
東北、
仙台からはNPOを土台としたフリーペーパーを
創刊するというライターの声が聞こえて来る。
10歳年下の若者らは、
電子書籍やアプリケーション販売で、
各種メディアの電子版等に取り上げられつつ、
純粋に奮闘している。
写真家、
音楽家、俳優や服飾デザイナー、
インディペンデントな劇団プロデューサーなど、
自分の周囲には、実に様々な作り手がいる。
自分もちょろちょろと、
色々なモノをやらせてもらっては来た。
紙やWEBなどの各種デザインはもちろん、
店舗デザイン、各種映像プロデュース、
行政絡みのエリアプロデュースに関するデザインコンサルなど。
自分で会社まで起こして、
こんな事を言うのもおかしいが、
もちろん楽しいのだが、やはり絵以外のモノは、
何度やっても自分の中で「バイト感覚」に近いという事だった。
最近読み込んでいる、
WEBやPHPプログラミングの事も、
趣味程度には楽しいと思うが、やはりこれもペティーナイフのような。
やはり、自分が本気で戦って行く唯一の刀は絵なんだなと。
数年前、
とある大先輩に、その事を相談した事があった。
「自分は幸運にも、画家としても仕事があり、
デザイナーとしても仕事がある。この先、
どちらに比重を置いて行くか悩んでいる」と。
するとその大先輩は間髪置かず即答で、
「必ず絵が残る」と言われたのを昨日の事のように覚えている。
逆にその時の自分としての答えは「自分の中でしばらく競争をさせ、
淘汰された残りをやって行こう」というモノだった。
あれから4、5年過ぎたのかな。
上手く言葉で表現するのは難しいが、
無性に絵が描きたくなった。
ビジネスや利害はどうでも良い、
誰から頼まれた作品でも無い。
自分の中で目が止まった2箇所のギャラリーで、
純然とした個展がしたくなった。
そして共にオーナーと面識も無い。
しかし、
そこへ切り込む方法は、判っている。
経験があるからだ。
いつか描くであろう、その時の為に、
昨年撮り溜めた写真は1000枚程度ある。
その中から抜粋して、恐らく2ヶ月〜3ヶ月あれば、
すべて新作の個展の準備は出来るだろう。
この感覚は、7〜8年前かな。
東北沢の「現代ハイツ」というカフェギャラリーで、
個展をした時の気持ちに似ている。
思えばあの時に描いた20枚の絵。
あの、たかが20枚の絵でその後、
数百枚のオファーが7年近く、断続的に続いた。
先月も今月も、あの時の個展で描いた作品の依頼を受けた。
直接知っている後輩や、
以前にこっそりとメールをくれたかつての生徒、
このブログを通して時折メールをくれる、
様々なクリエイターの卵達にも、
偉そうだが、伝えておきたい事は、
優れた作品というのは、
どの分野においても「理屈」などは後回しで良い、
あるいは要らない。
作り手は、
自分が良しと感じた感性を信じて迷わず作り、
それを見て触れた人々をどれだけ魅了できたか、
また、そこに受け手と作り手がいかに共感出来るか。
それだけなんだと思う。
あとは、
人生の羅針盤は好奇心で、
保証は才能くらいに考えておけばいい。
まぁ、
そろそろやろうかな。
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