素晴らしい映画だった、しかも実話。
色々と考えさせられた。
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くるり/東京
名曲。
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何度聴いても良い曲、特に朝は。
年末年始は怒濤のように鍋会に次ぐ鍋会をこなし、
ようやく落ち着いて来た今日この頃。
そしてようやく3日に、
昨年使用していた商売繁盛の札を代々木八幡宮へ返却し、
明治神宮へお参りを兼ねて、新たな商売繁盛の札を取りに行った。
今年は明治神宮で札をもらいたい!というのは、
俺の意向だったのだが、三が日の明治神宮と言えば、
もちろん異様に混んでいる。
しかし、
明治神宮というのは本殿への道が3つある。
いわゆる原宿駅経由で行く「南参道ルート」が、
いつも異様に混んでいるわけです。
で、俺の提案で、
「北参道か西参道から行ってみないか?」という事で、
一同北参道から行く事にした。
西参道は参宮橋からのルート。
我々が行った北参道ルートは代々木駅から
一直線のルートなんだけど、これが案の定、
ガラガラに空いてた。
北参道の入り口からものの10分もしない内に、
お賽銭を投げる本殿に到着してしまったのだが、
ここで問題が。
いわゆる表参道から南参道を経由して来た人達は、
長蛇の列を2時間くらい並んで賽銭箱の前に来ているわけだが、
西参道や俺らのように北参道から来た人達は10分弱で、
本殿に到着しているわけです。
つまり、
「これって横入りになるのか否か」
という議題が浮上し、しばし協議。
警備のお巡りさんは「どうぞどうぞ〜」と言ってはいたが、
「新年早々、横入りのような初詣はよろしくない」
という結論に達し、商売繁盛の札だけを買い、
そのまま西参道から参宮橋に抜け、
馴染みのカフェで飲み食いをして終了。
それにしても、
南参道以外からのお参りは、
正規ルートとしてOKなのだろうか。
落ち着いたら、
社務所で聞いてみよう。
あと1日で、また新しい1年が始まる。
「今年の最後に会わないか?」と、
初老の紳士から携帯が鳴り、一昨日少し時間を作った。
30歳年上だが、
既に俺のことをあだ名で読んでくれる程、
関係は打ち解け、親友さながらのようだ。
初老の紳士と会った後は、
必ずどこかの喫茶店に立ち寄り、
その日の話で気になったポイントを1人でメモ帳に書く。
一昨日もそうだった。
これまで色々な人と会ったけれど、
こんな作業をするのは初めかもしれない。
それだけ重要な交流であると、
感覚的に感じているからだ。
初老の紳士と初めて会ってから、
まだ2ヶ月も経っていない。
しかし、週に1回、時には2回と
回を重ねるごとに、もはや随分前から知っているようだ。
自分の経験を元にした助言や
俺の良い点、悪い点、あるいは、
それらが重なっている部分の指摘など。
遠慮無く言ってくれる事が非常に有り難い。
もちろん意見を反発させる事柄もあったが、
それらをお互いに理解し、前向きな会話に変えられる。
本当に濃密な時間を与えられている。
当初から
初老の紳士が「構えを増やせ」という事を
俺によく話していた。具体的には「半身」の構え。
「オマエは良くも悪くも真っ正面から行こうとする。
またその勢いが強烈。普通は臆する事柄にビクともしない。
つまりブレーキがかからない」
「正面からだけではダメだ。
出来る事と出来ない事の差がハッキリと出過ぎる。
攻める、守る、待つ。足し引きを操る半身も身につけること」
それを「手間をかけること」と言っていた。
あと「人選」に関してもよく助言を受けた。
「仕事でも、体質的に似た者同士と組めば、初速は早い。
しかし、時間が経つにつれ、小競り合いも増える。
多少体質が違っても君がよく言う「餅は餅屋」の発想で今は良い。
それらを織り上げる為の要をどこに配置するかは、
その時々の目的によって異なるが、
とにかくスタートの勢いには重点を置かず、
人選の深さを徹底的に追及すべきだ」と。
「多少体質が違っても」
これを聞いた時に、以前に確か兵法書の何か、
兵法三十六計を読んでいた時に出て来た、
「呉越同舟」という言葉を思い出した。
呉越同舟というのは、
本来仲の悪い者同士や敵対関係の人々らが、
例えば難破船に乗り合わせる等の火事場レベルの
同じ災難や何らかの目的に遭遇した際、
協力したり助け合ったりするという意味。
自分の場合は、
そこまで仲の悪い人らはいないが、
素晴らしい能力の持ち主だと認めたり、認め合いながらも
反りが合う合わないと言う人らは多少いる。
組めれば組みたいのだが、というような。
こうゆう関係性を度外視できる方法を産み出せれば、
これは大変に強いわけです。
仕事や大きな何かを成し得る時に、
この辺りの事柄は、大変に役立つ。
いわゆる戦略、策謀家。
初老の紳士との対話は、
まだ2ヶ月弱だが、いつも濃密。
来年もきっと、
色々な発見に出会うだろう。
どうにか今週も終わった。
仕事の傍ら事務所の模様替えで、
長椅子ソファーが2本、テーブルに棚に何だかんだと納品され、
仕事の後にお手伝いに来てくれた人らと何とか組み立て終えた。
年末年始は事務所で打ち上げだなんだと、
やたらと人が来て、もう予定が無い日がなくエグい。
仕事とウォーキングの時間を確保するのが精一杯だ。
今日は今日で、
吉祥寺で買い出しと引っ越しの準備だ。
そして選挙。
このうさん臭い選挙。
天下分け目の重大選挙である事は間違いないけど、
個々の利とのバランスを取りながらの発言が目立つ。
「君子は義に喩り、小人は利に喩る」
という諺があるけど、政治家はじめ国民も、
「義」を重んじている人が今の日本には少な過ぎる。
大小様々な個々の「利」を追求すれば、
国がバラバラに崩壊して行くのは眼に見えている。
また、
混乱を起こす為の大きな仕掛けの中に居る事も、
気づくべきだと思う。
それが国内の混乱である内はまだしも、
TPPや領土問題もそうだけど、こうした内政混乱の最中に、
「呂布の利」を得ようとする外からの刺客が増えている事には、
最も注視すべきだと感じる。
ともあれ、
選挙に行こう。
★
毎日10kmのウォーキング。
1km約10分、完全に慣れてきた。
カイロ理学士が生のGABAを摂取しろとの事で、
トマトジュースをグビグビ飲みながら歩き倒している。
以前にやっていた日課は戻りが早い。
このカメラにも慣れて来た。
グラン・メゾン
出会ったのは11月。
会った瞬間にただ者でない事はすぐに判った。
凄くオシャレで何より品が良い。
年齢は30歳年上、
70も近い初老の紳士。
「青年よ、ウチに遊びにいらっしゃい」
そう始まってからこの1ヶ月、
どれほど話を重ねたことか。
自分のすべてを話した。
大体は彼のギャラリー。
まるでどこの国にいるのか判らなくなるような、
世間とはまるで違う時間が流れるその空間で、
お互いに話を始めればすぐに4、5時間が過ぎる。
若い頃はフランスとイタリアに住んでいた。
2度の結婚を経て、授かった我が子は50歳の時。
目下の悩みは、娘を連れいると孫と間違われること。
話を重ねるにつれ、
その経験はもちろん、
世界中にあるその豊富な人脈層が、
あまりに浮世離れしている事にも驚いた。
しかし、その謎が解けた。
初老の紳士は、
1970年代後半のフランスで、16世紀から君臨し、
フランス料理という言葉を作ったと言われる名店。
セーヌ川を望むあのグランメゾンで、
長年シェフをしていた過去を持つ人物だった。
数々のVIPを顧客に持つその店で得た
交友関係をそのまま育て、今に至っている。
大使館を出入りできる立場。
国内でも様々な名店の新作メニューの
試食や助言を求められる事はもちろん、
様々なアドバイザーを務めている。
ヨーロッパを熟知し、
俺が本でしか読んだ事のないような、
本物の著名人や芸術家を直接もてなして来た。
そんな方が、初対面で出会った俺を
「あれは滅多にいない。大変面白い青年だ」と
おっしゃっていただいた事を人を介して聞き、
大変光栄な出会いとなった。
そして俺自身も、
「何て面白い人だ。奥行きがあり過ぎて全然掴めない」と、
初対面で感じていたから、ある意味で相思相愛だった。
以来、連絡をもらったり、
こちらから連絡したりしながら、
かなりの頻度でお会いしている。
何度目かの時、初老の紳士に、
「人生の保証は才能で、人生の羅針盤は好奇心だ」と、
十代の頃からそう考えて生きて来た。
今も昔も自分の気持ちの軸には、
それがあると話した事があった。
そして、
「お前はそれを本当に実践して生きて来た。
このプロフィール。人を介した偶然だとは言うが、
これだけの客層と実績までを作り上げた。
しかもこんな短期間でだ。シャネルの社長は私の友人でもある。
そして何よりお前さん驚くほど勘がいい」と、
お褒めいただいた後に、
「しかし、まだ勢いでやっている。少々荒い。
お前の勘の良さ、咄嗟のアイディアは驚くほどに豊富だ。
度胸もいい、単独での力は間違いない。画家業が良い例だ。
しかし、そこに問題も潜んでいる。
これまでの話を聞くにつけ、
単独ではなく「チーム所帯」になった時には、
失速を感じる。
お前の欠点は人を待てない、
つまり目的に対して大変に「せっかち」だ。
お前の目的を達成して行くには、
どうしても人を動かせる人間になる必要がある。
人を動かすのは技術だけではない。
共感を得るのはもちろん、
そして真の信頼を人に置く事だ。
どんなに腕が良くても、
シェフ1人では店はできない。
お前が抱えている壁はそれと同様なんだ。
そして、
組めると思う人間を見抜く眼力を得ること。
それらがお前に備われば、本当に面白い。」
「待つ事、人に委ね、信じる事。
寛容さを身につけなさい。
そうすれば何事でも開花する。
もっと自由に動けるようになる。
「つぼみやアイディア」を現時点でも
お前は山ほど持っている。
これ程たくさんの柔軟なアイディアを
出し続けられる人間というのはそういないんだよ。
それだけは自覚して欲しい。
これは特別な能力なんだよ。
気構えと作法を身につけるんだ。
表面的にではなく、本当の意味で体得するんだ」
そう何度も何度もおっしゃっていた。
昼間から一緒にワインを飲みながら、
話は尽きない。彼の話の引き出しの多さには驚くばかり。
そして、様々なことを教えてくれる。
30歳も年上の大先輩。
そして並じゃないその人生。
失敗ももちろんしてきている。
確かにそうだ。
俺はこれまで、待てないが為の失敗というのは、
本当に多かった。
スタッフを、
外注の作業を待てなかった。
30代でひとつ会社を潰した事もあった。
何かの列に並ぶ事すら出来なかった。
そして人を待てなかった。
待つこと、
人に委ねること、
信じること、
そして寛容さ。
真に人を見抜く眼力を得ること。
判断基準を構築すること。
無駄に群れる必要は無いが、
必要不可欠な最小単位のメンバーは必要だ。
初老の紳士との時間は、
くつろぎの時間であると同時に、
いつも人生の寺子屋のようだ。
「お前のようなタイプを
押さえつけたり、説教をするのは、
なかなか同年代では難しいのかもしれないよ。
私の経験で役に立つ事があるのなら何でも話そう」
と言ってくれる事が何よりも有り難い。
飛行機で連れて行きたい場所もあると。
信念を貫いて生きて行く人生とは。
そこで得るものと失うものとは。
自分に責任を持つとは。
老いて行く事とは。
海外の良さ、日本の良さとは。
寛容さとは。
出会ってたったの1ヶ月。
しかし、濃密だった。
そして、この先も、
初老の紳士との対話は続いて行く。
何年も続いて行くだろう。
次は今週末。
大変に幸運だ。
★
いよいよ師走。
冬の祭りも良いものだった。
11月の上旬から下旬にかけて、
体調がえらい事になっていた。
1ヶ月程、
右首筋の腫れと39度程度の謎の高熱に連日見舞われていた。
これは極身近な友人知人にしか詳細を話していなかった。
そもそもは10月上旬か中旬辺り。
顔を天井に向けた時に、アゴの下から右首筋にかけて、
筋が吊るような軽い違和感があった。
それからしばらく、
首を回したり筋を伸ばしたりするような動作を続けていたのだが、
違和感は徐々に増し、11月上旬。明らかに右耳の下、首筋が腫れて来た。
そして同時に発熱。
連日起床時に38度5分〜39度。
風邪かと思って風邪薬を飲むが一向に起床時の熱は引かない。
数日が過ぎ「風邪にしては喉も痛くない、鼻水も出ない」と感じ、
解熱剤だけを服用すると、あっという間に熱が下がった。
しかしまた翌朝、起床時は高熱で目を覚ます。
決まって熱は、日没から起床時にかけてが高い。
11月は非常に様々な方とお会いする事が多く、
その内数人は将来的に自分のメンターになる予感を得るような人々だった。
出会いに関して実りが多いにも関わらず体調は思わしくない。
病気知らずの自分は、こんな経験は初めてだった。
日に3度の解熱剤の服用が欠かせないという状態。
日中は高熱が下がった後の浮遊感に似た感覚が身体には常にある。
白目の充血が取れず、
大きなレンズのサングラスとハットを常に着用しての外出。
その頃に、
「これは風邪ではない」という確信のようなモノが芽生えた。
そして「自分の白血球数値を知りたい」とも思うようになった。
そう感じた翌日、
近所の診療所、そして別の総合病院にも行った。
医師に10月上旬からの右アゴ下〜右耳の下にかけての違和感、
現在は非常に張っている事。軽く左を向くだけでも痛みがあると。
そして連日の高熱に関してお話をし検温。その時も熱は38度2分。
その後採血をし、簡易測定の結果を待った。
しかし、
どの項目においても全く異常が出ない。
医師も「何故だ」というような事を口走っていた。
にも関わらず高熱は出ている。
可能性が高い部位としては腎臓、
あるいは副腎に何かが起きている可能性があると。
しかし白血球数値が正常値であるという事は、
体内で炎症を起こしている部位が見当たらないということだとも言う。
ではこの状態は何なんだと。
形として抗生物質と身体にダメージの少ない解熱剤を5日分処方された。
それと日々の検温結果を書き込む為の表。
これらを5日続け、
もし発熱が落ち着かない場合は紹介状を書き、
別の大学病院に入院および精密検査という事になった。
入院期間の程度は不明。
これはどうしたものかと、
久しぶりに途方に暮れた。
一体自分の身体に何が起きているのかと。
原因が判れば、
それを治す努力をすれば良いだけだが、
それが判らない。
検温記入から3日目、
知人に会う予定が有り、彼の元へ向った。
その際、マガジンハウスの編集部の人間が遊びに来ていた。
丁度、体調に関する話で盛り上がっていた為、
どのみち入院を避けられないのなら、その報告もせねばなるまいと、
自分の現在の体調に関し打ち明けてみた。
すると編集部の方が、
以前にあなたと非常に似た状態の人間がウチの編集部にもいましたと。
首筋のリンパが張り、高熱だけが連日続いたと。
その方は簡単に言えば「過労あるいは高ストレス」だったそうだ。
そして、
「凄い先生がいるんです。
カイロプラクティックに行かれてみたら如何でしょう。
よろしければご紹介します」と。
「是非。可能性があるものは全て試したい」という事で、
翌日、カイロプラクターの所へ。
麻布十番を抜け、東京タワーの近く。
木目調の白い空間で、ツール類もデザインに気を使っている。
症状を伝え、
検温と右首の触診。そこから恐らく、
体中の関節部位をチェックしたのではないかと思える程、綿密な検査。
それは口の中に手を入れ、口腔の筋肉やアゴの骨に至るまでだ。
そしてカイロプラクターがひと言。
「右副腎の機能不全です。間違いありません。
自己免疫力が急激に低下しています」と。
そして「今からそれを治します」と言い切った。
今からそれを治します?
それが凄く驚いた。治せるのかと。
ヒアリングに45分程度。
初診にも関わらず施術を含めてトータル3時間半を費やしていただいた。
こんな角度に足を曲げたことが無いという角度で足を固定し、
その度に「口を少し開き、アゴを右に。次に左に。そして力を入れて」など、
もの凄く細かい骨格調整をしている事は判った。そして、自分の身体がこんなに
ゴキゴキと鳴るのかというくらい体中の骨が鳴った。
施術後カイロプラクターは、
「そもそも身体全体の筋力が強く、同時に非常にしなやかな筋肉の持ち主ですが、現在、身体の前面の筋肉が非常に収縮している。急速に集中して何かを思案した後が鎖骨の上の筋肉に見られます。その為、骨格も前面に偏りがちになっている。その骨格を正常値に戻し、内分泌液の流れを元に戻しました」と。
そのような事を言っていた。
正直、施術の直後は、
身体の変化には気づかなかったが驚いたのは翌朝だ。
右首筋の張りも高熱も完全に消えていたからだ。
しかもその日から1週間以上は経過しているが、身体に何の異常もない。
本当に驚いた。病院の先生にもすぐに電話をしたが先生は、
薬が効いたと思い込んでいる。検温表の最終日である丁度5日目だったからだ。
しかし、自分自身の体感として、
これは薬に寄るものではないということは明らかだった。
この出来事は、
自分が全く知らなかった世界を知った瞬間でもあった。
そしてこうした自分の知らなかった世界との出会いが、
ここの所、とにかく頻発している。
以後、定期的にカイロプラクターの施術を受ける事にし、
様々なアドバイスをいただいている。
ただ、
「右副腎の機能が戻ったとは言え、
現状の自己免疫力は通常時より半減しています。
それを今後数週間かけて回復させます」というプログラムが組まれた。
定期的な施術はもちろん自宅でも、
教えていただいた肩を広げる独特なストレッチ。呼吸法。
背骨をひとつづつ動かす運動。高ビタミンを摂取し、
当面カフェインは摂取しないこと。これらが日課になった。
そして適度な運動をとの事だったので、以前に日課にしていた
1日10kmのウォーキングを再開した。
身体が回復した頃合いを見て、
24時間〜48時間の軽い断食をし、血流と免疫力を更に上げるという仕上げを
行う事になっている。ただしその際「タバコを辞めて下さい」という条件が
付いている。断食中の身体にタバコを吸引すると猛毒として働くと。
しかし今は逆に、
タバコを辞める事がストレスに直結しかねない為、
むしろ辞めない方が良いとの事だったが、相当量を減らした。
それにしても、
この11月12月は本当に不思議な出会いと出来事が多い。
日常的に新しい人々に会う機会は、
普通の人よりは多い気がするが、
ここ最近は「メンター」と呼べるような人物に、
立て続けに出会っている。このカイロプラクターもその1人。
自分自身の大土台に良い影響を与え、成長を与えてくれる人達。
よく「心とカラダ」と言ったような触れ込みの
本や雑誌の特集が目に付くが、自分の身を持って、
それを少し体験してしまったような出来事だった。
思考と内臓、
あるいは意思とホルモンバランス。
それらの体感は、年齢を重ねるごとに、
ダイレクトになって行くと感じる。
思考は、個性と環境によって作られ、
ポジティブな思考であれば体内も良好であり、
ネガティブな思考であれば体内も悪化する。
それらは自覚の有無を問わず、
確実に呼応していると感じる。
あるいは逆に、
体内の状態が思考に影響を及ぼすこともある。
つまり身体と思考は一体だ。
今はメンター達に、
あらゆる角度からのセルフコントロールを
かなり深いレベルからレクチャーされている。
そして、
それらの吸収や発見が、
妙に面白い。
★